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朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫) |

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・イザベラ・L. バード
【講談社】
発売日: 1998-08
[ 文庫 ]
参考価格: 1,733 円(税込)
販売価格: 1,733 円(税込)
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・イザベラ・L. バード ・イザベラ・L. バード ・Isabella L. Bird ・時岡 敬子
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,733円〜
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- Amazon.co.jp より - 本書は、著者が1894年から1897年にかけて、4度にわたり朝鮮を旅したときの紀行である。当時の東アジアは日清戦争前後の激動の時代で、朝鮮半島においても各国の思惑が入り乱れ、著者自身幾度か謁見したことのある閔妃が殺害される事件も起きている。 そんな戦争と政争の中ではあるが、旅をする著者の視線の多くは庶民の日常生活と豊かな自然に注がれている。交通事情が劣悪なために、快適な旅とはいえないことに遭遇することも少なくないが、60代とは思えないパワフルな活動力でそれを乗り越えていく様は痛快ですらある。 当時の朝鮮はまた、開国間もない時期であり、外国人に対する偏見も根強く残っていた。ただ、それだけに伝統的風土・民俗・文化等が色濃く残り、特に本文中2章を割いているシャーマニズムについては著者自身も大きな関心を抱いたようで、悪霊払いのプロセスを延々と紹介している部分もある。これらの伝承は記録としては残りにくいものであるから、貴重である。 時代が時代であるだけに、日本人についての記述も少なくない。著者自身は日本を先進国入りしつつある国、と認識している様子で、朝鮮に対する影響力を徐々に強めていることに関しても、帝国主義が当然の時代とはいえ、淡々と描写している。ただし、秀吉による侵略以来の「恨み」については何度も語っているので、朝鮮人の反日感情は、著者の目にもあからさまのものだったのだろう。 この時期の朝鮮について、政治的な思惑なしに、これだけ広範囲のことを記述したものはほかにない。それだけに、資料としての価値の高さがあるとともに、素顔の朝鮮があざやかに見て取れる名紀行でもある。
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カスタマー平均評価: 5

植民地以前の独立国家朝鮮がわかる一冊 日本に併合させられる直前の朝鮮を記録した本としては第一級のものです。
第三者のイギリス人夫人が経済も産業も破綻し
人心も離れた国家を見たままに描写していまして
冷静かつ緻密な文章はいながらに当時の朝鮮を実感できます。
完全に男尊女卑の社会は著者に嫌悪感を持たれたらしく
微妙に感情的に描かれている感じを持ちました。
そしてその感想も最もだと思えるほどの当時の韓国人女性の無残な状況です。
海峡を隔てただけでまったく日本と異なる社会となっている異国の社会。
日本が併合して同化政策を取ったとしても最初から無理だったことでしょう。
関東大震災のデマがどうして信じられたのかわかるような気がしました。
ただ、完全に経済も産業も壊滅的な状態の国家では
他国の植民地にならざるを得なかったのではないかと・・・
それを痛感する一冊でもあります。
李氏朝鮮の貴重な写真、イラストが掲載されています。
現在のソウルの写真と比較してみると興味深いです。
日韓問題を考えるにあたり絶対に外せない一冊。
まず、これを読めという感じです。
一気読みしました 1894年から1897年に英国女性が実際に目で見て書かれたもの。
私がこの本を読みたく思ったのは、昨今よく出されている、いわゆる反韓モノの存在を知り、いろいろその手のものを読んでいくうちに、当時の様子を知りたいと思ったから。583ページを一気読み。
風俗、町並み、生活。その時代の朝鮮のことを何も知らなかったので、興味深かった。
そして、日本軍の様子,政策。列強国の受け止め方。興味深々。もともと朝鮮人は清国大好き、日本人大嫌いだったのね。。秀吉のせいで。。
「「搾取」はなくなって朝鮮人は自発的に働いていた」『朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本」『日本人に対し…激しい反感を示していたが、…日本兵の品のよさと兵站部に物資をおさめればきちんと支払いがあることなついてはしぶしぶながらも認めていた」「わたしは日本が徹頭徹尾誠意をもって奮闘したと信じる」
歴史に対する知識が何もなかった、今も貧弱な知識しか持ち合わせていない私には理解できない部分も少なからずあったが、一人の英国人の視点として、興味深く読んだ。
日本の歴史教育は、古代からはじまり、時間が足りないせいで、近代は学ばないと言われて久しいが、わたしは古代さえも勉強しなかった。。今になって歴史がおもしろい。
最後に。。図書館でかりたこの本にされていた落書き。「日本のせいだ、謝罪しろ」。。。落書きはいけませんね。。
日本人を嫌悪していた朝鮮 この書を読むと、当時の朝鮮が日本人を嫌悪していたことがよく分かります。
文化的に優れていると思いこむことで、日本を倭国と卑下しつつも、
事実として日本が優れた国力を保持していることを否定できなかったということでしょう。
イザベラ・バードは、当時の行幸の様子を客観的な目で語り、評価しています。
行幸では、古風な現実的でないいでたちで高級官僚が行列をつくり、これに対して
朝鮮の官僚は行幸のいでたちのままで国を守ることを使命とされていると嘲笑します。
また、日清戦争を挟んで、清国兵が蛮行に及んだことに比較して日本兵がいかに紳士的であったのか、
それでも清国兵以上に日本兵に嫌悪感を憶える朝鮮民衆の姿を第三者の目から冷静に語っています。
韓国における反日という感情を正確に理解するためには、
日本が韓国を併合した以前の朝鮮そのものを外国人の目を通して眺めることが必要です。
本書は、その模範解答といえるものでしょう。
近代アジアの最高の旅行記の一つ どうも政治的というか日本統治前後の朝鮮についてのネタ本的な扱いを受けている
本書ですが、そのような扱いは不当というべきでしょう。
著者は執筆時60を過ぎたおばあちゃんとも言える方ですが、その好奇心、理性、
分析力、鉄の意志を兼ね備えた姿は、我々一般の読者を圧倒する迫力を持っています。
著者の価値観は、キリスト教的、帝国主義的な点で若干の違和感はあるものの、
ほぼ現代日本の人間と一致します。これに加えて、非常に細部にまでいたる観察眼に
よって、当時の朝鮮の状況を生き生きと思い浮かべることができるという点で、
本書の価値は極めて高いといえるでしょう。
さらに加えて、一般の歴史書では知りようも無い、朝鮮の民衆の日常生活、信仰、
さらには朝鮮王宮内の様子を、必要な場合はデータも示して描写しています。
これらの光景は同時代人にとっては、取るに足りない情報として切り捨てられて
しまうために、残念ながら後世に残らないものが多いのですが、著者によって忘却を
免れたことは、(「日本奥地紀行」などともあわせて)後世に生きる我々は素直に
喜ぶべきことでしょう。
この本を見て何を考えるかは、読者それぞれの自由だと思いますが、私個人としては
歴史というのは、非難の武器としてではなく、自戒の為に学ぶものだと考えています。
両班や朝鮮政府、ロシアの朝鮮族の描写は、その点で考えさせられるものがありました。
ともあれ、一級の知的擬似体験のできる書籍です。買って損はありません。
先進国イギリスの目 先進国イギリス人による優れた旅行記である。
日本の行為を正当化するような政治的文脈で読むと、むしろ価値が下がる。
淡々と読むべきだろう。
「こんなに不潔で貧しい国を日本が近代化してやった」という読み方では、
100年前の日本人と同じ発想になってしまう。
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「三国志」軍師34選 (PHP文庫 わ 12-2) |

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・渡邉 義浩
【PHP研究所】
発売日: 2008-04-01
[ 文庫 ]
参考価格: 680 円(税込)
販売価格: 680 円(税込)
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・渡邉 義浩 ・渡邉 義浩
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| マーケットプレイス
新品価格: 680円〜
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カスタマー平均評価: 5

「名士」を通して三国志の世界が分かる本 「名士」の存在を通して、三国志の世界を説明してくれる良書です。
三国志演義を読んでも理解しづらかった、この時代の儒教の影響力、名士の評価による登用制度等がすっきり理解できました。
蜀建国後、諸葛亮が、派閥人事でその影響力を増していったこと等が分かり、いろいろな意味で勉強になりました。
(「いつの時代も人間のやることは変わらないな。」と思いました。)
同じ著者の本の中でも、安価でまとまっています。
三国志が好きな人にはぜひ一読をお奨めします
正史(実録)に基づき内容充実 正史(実録)に基づき、概ね歴史順に軍師にスポットを当てて書かれているので、歴史の流れも解り易く歴史のトラベラーになった様な気分で興味深く読めます。また名士の構成等も記されているので解り易いです。ボリュームもあります。
三国時代の背景が分かる本 三国志演義よりも正史(実録)に基づき書かれています。
それぞれの軍師にスポットを当てて、個別に書かれているので、
好きな軍師から読めば良いので読みやすいです。
どちらかと言えば人物事典の様な感じです。
なぜ、ジュンイクは曹操に反発し命を賭したのか。
なぜ、陳グンは劉備の元を去ったのか。
なぜ、費イは姜維の北伐に頑なに反対したのか。
なぜ、諸葛亮は馬ショクを斬らなければいけなかったのか。
なぜ、姜維は蜀の中で孤立したのか。
本当の魯シュク像などなど、
豪族と名士というと言葉で、その時代背景を説明し、
長年疑問に思っていたことを解決してくれます。
魏将:10人,呉将:7人,蜀将:7人,晋将:5人(司馬イ等含む) 他
演義では味わえない本当の三国時代の風を感じることができます。
三国志軍師小事典 諸葛亮他三国志に登場する軍師に焦点を当て、34人を採り上げる。固有名詞が多く通読するには難があるが、各々コンパクトに纏まっているが、密度は濃く、「小事典」としても使えるレベルである。
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ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀) |

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・マハトマ ガンジー
【中央公論新社】
発売日: 2004-02
[ 文庫 ]
参考価格: 1,450 円(税込)
販売価格: 1,450 円(税込)
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・マハトマ ガンジー ・マハトマ ガンジー ・蝋山 芳郎
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,450円〜
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カスタマー平均評価: 4.5

いまに生きる思想と実践
じぶんの生き方を振り返りながら、読みました。
2009年。経済と世界が混迷するなかで、
いままでのじぶんの仕事のしかたや生き方が、
壁にぶつかっている気がする。通用しにくくなっている
気がする。生きにくく感じてしまう。
そんな気持ちで読みました。
この偉大な人、ガンジーの生き方は、
じぶんが感じている困難さよりも、何十倍何百倍も
困難ななかで、理想を見失うことなく歩きつづけ、
ほんとうに多くの人々に影響を与えつづけたんですね。
じぶんもこういうふうに生きる努力をすれば、
もっとじぶんにまっすぐに、もっと生きやすくなるのかも
しれないと感じる記述がたくさんありました。
たとえば、菜食主義の実践。
肉や魚ばかりでなく、豆類も塩さえも摂ることを
ひかえた。それでも人間は生きてゆける。
たとえば、欲望の抑制。
欲望をおさえる生き方を身につけると、
人と争うことなく生きていける。
ガンジーというと、行進を通して、人を導いた人
という印象がありましたが。もともと弁護士であって、
法律の知識を力に行政府と闘いつづけた場面が
多かったことも初めて知りました。
思想を学びつつ、実験、実践をくりかえして
ガンジーの生き方は形成されていったことが
よくわかりました。
困難な時代にあればこそ、
思想と実践のくりかえしがとても大切と
感じた一冊です。
最高の自伝のひとつ まず、ガンジーというと、インド綿をまとって、非暴力を提唱したというイメージがありますが、彼が英国紳士のいでたちをしていたこと(11章)、初期の活動のうち17年は南アフリカであったこと(第三部)など、意外に知られていないことが多くで驚きます。 特に、第三部と四部の南アフリカでの経験は、いかに彼が、後に知られる、無抵抗、非不服従と、質素な生活の思想を培っていったかがわかって興味深いです。ヒンズーを土台とした彼がいかにキリストとイスラムの思想に触れていったかもわかります。
この本は読んでそのまま教訓を得るというよりは、さまざまな課題を考えるきっかけとなる本だと思います。 非殺生を唱えながら、英国の徴兵に応じて、民衆から強烈に突っ込まれるところ(75章)、 非不服従を唱える民衆がただの、暴徒化するところ(73章)、徹底的な菜食を通して死にそうになるところ(76章)など、現実に安易な解答というのはないってことを考えさせられます。 特に栄養学に関するくだりは、私にはかなり受け入れがたいところが多かったです。
それにもかかわらず、全編を通じて、自分と考えを異にする相手と、議論はするが、思いやりと尊敬を必ず示し、侮辱や挑発にけっして仕返しをしないところなど、今の社会問題の解決のヒントになることが多いと思いました。
余談ですが、他に私が好きな自伝に、福沢諭吉とベンジャミンフランクリン(共に岩波文庫)がありますが、彼らとガンジーに共通しているのは、若いときに新聞の発行とコラムの執筆にかかわったってところで、そういった経験が彼らの思想と文筆力を養ったのだろうかと興味深く思いました。
真実の大切さ ガンジーの生涯?1869年?1948年?におけるインドの状況にあまり知識を持っていなかったため、通読後訳注を見ながら詳しく読んだ。
その知識を持っている方が、よりガンジーの思想の変遷を理解できると思う。
たとえば、
・東インド会社設立後、1857年のインド大反乱後1947年までイギリスに支配されていたこと、
・カースト(身分)制が布かれていて、ブラフマナ(聖職者)、クシャトリア(武士)、ヴァイシャ(商人)、シュードラ(手工業者)の4つに分かれていたこと、
・日本の方言以上に複雑な多くの言語があること、など。
学校で習ったに違いないが、思い出しながら読むと理解が深まった。
この本を読むと、ガンジーがインド、イギリス、南アフリカを往復して様々な人とふれあい、
弁護士を出発点として、どのように政治活動に関わっていき、非暴力運動を展開させていったかがわかる。
南アフリカでの人種差別運動によるインド人の抑圧やイギリス支配からの脱却を目指して、
自給自足を旨とした農園を作り、サッティヤーグラハ(真実の力)運動を起こしたのである。
その運動のためにどれだけ投獄されたかと思うと、驚きであった。
真実を貫くこと、それには精神の涵養が必要であり、その手段として肉体的な涵養も必要になってくることに、共感を持った。
ただ、これだけ自由があふれた日本において、当時は菜食主義や禁欲主義で実践していたものをどのように実践するかは考えさせられる。
読み終わって思うのは、ガンジーの思想は、ガンジーにとって至極当たり前だったのではないか、ということ。
なぜなら、文章が淡々としていていかにも考えの赴くままに行動していたと感ぜられるからだ。
本書には、なにか奇抜なことやわくわくさせられることはあまりないが、いろいろと考えさせられるものが詰まっていると思う。
真実の人・ガンジーの半生 ガンジーの生き様が本人により述べられた本です。政治的に有名な“塩の行進”をはじめとする歴史は述べられていません。英語版にはない丁寧な訳注が理解を助けます。また、短い章で分けられ、写真や地図も豊富で大変読みやすくなっています。ガンジー自らが書いた“はしがき”に、この本全体の思想が凝縮されています。曰く、“私は神を真実としてのみ礼拝する。私はまだ神を発見するにいたっていないし、また、今も捜し求めている。、、、およそ真実の探求者は、塵芥より控え目でなくてはならない。、、、私は読者の前に、私の欠点や過ちをことごとくさらけ出してみたいと思う。、、、私自身を判断するに当たって、できるだけきびしく誠実であることに努めよう。そのような規準に立って私自身を測定しながら、私は叫ばなくてならない。”
我のごとく小賢しく Where is there a wretch
いやしき者ありや So wicked and loathsome as I?
造り主を見捨てたる我 I have forsaken my Maker,
我はかく 不信の徒なり So faithless have I been.
本文では、まさにマハトマ・偉大な尊者と言われるにふさわしい半生が語られています。ヒンズー教徒でありながら、キリスト教・イスラム教に対する理解を示し既成宗教の枠を超えて真実に関する実験を生涯に渡って貫ぬいた姿勢は感動的です。この本のはしがきと本文を読んだ読者の中の一体どれだけの人物が、自らを神(=絶対の真実)を知っている真の信者であると言えるでしょうか。
宗教的に完成された高僧のような人物にリーダーとして学ぶことは多い 自分の信念に忠実で、権力や金を身につけるどころか、どんどん捨て去っていくその生き方、そしてどんなときにも心を澄みやかにし、他人の罪を許す態度は、まさしく、高僧のようである。特に誰かの弟子になったというわけでもなく、何かのときに悟ったわけでもない。
これだけの人物だから大勢の人をひきつけるのだろう。政治的テクニックや人脈の前にリーダーとしての人物として見習いたい人のある意味頂点にいる人ではないか。
自伝の書き方もガンジーの人柄がでている。細かいことも大きな事件も同じような口調で書かれているのでじっくりととりかからなければ、十分読みこなせない内容だ。
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越境の古代史―倭と日本をめぐるアジアンネットワーク (ちくま新書) |

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・田中 史生
【筑摩書房】
発売日: 2009-02
[ 新書 ]
参考価格: 798 円(税込)
販売価格: 798 円(税込)
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・田中 史生 ・田中 史生
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| マーケットプレイス
新品価格: 798円〜
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カスタマー平均評価: 4

古代史を書き換える活発な国際交流 遣唐大使に任命された菅原道真が、宇多天皇に上奏して「遣唐使を廃止した」と、どの歴史教科書も記述しているが、あれ実は、はじめから止めるつもりで、二人で、ひと芝居を打ったんじゃないかと思う。
でないと、その前の遣唐使、あの「円仁」が行った遣唐使から既に50年以上も経って、今更なんの必要があって唐朝に使節なんか派遣しようとしたのか、さっぱり説明がつかない。考えられそうなのは、東大寺・正倉院を見れば解るように、帝王の権威を荘厳に飾る贅沢品を手に入れるとかの理由だが、民間貿易というと飛躍があるけれど、もう朝貢関係に拠らなくても、東シナ海に広がる新羅人、または江南の節度使たちが持つネットワークに依拠すれば、必要十分な交流体制が出来上がっていたのがこの時期。じっさい仏教僧なんか遣唐使派遣に頼らず活発に行ったり来たりしているしね。
せいぜい、新羅や唐朝の滅亡が近づいたらしい、すぐあとに渤海の滅亡や、日本なら承平・天慶の乱も控えていることだしするので、という危機感から、向こうの様子を探ろうとしたというくらいしか、今更、使節を派遣しようとした理由らしいものが見当らない。でも、それほど先見の明があったとも思えないし。
さて本書、近代国民国家という枠組みで囲まれた国家間の境界線を取り払ってみると、古代世界の人的交流が、がぜん従来と違ったものに見えてくることを主張している。
なるほど、中国の歴史教科書が「高句麗史」を国内史で扱ったことに、韓国の学界が抗議して言い争っているようなのは、傍から見ていると、確かに、お笑い草としか思えないといえる。日・中・韓歴史学の交流が、まだ完全に政治離れしていないのは残念だが、すでに近年の交流で明らかにされたところだけでも、それぞれの学者の国籍を超えて共有される「新しい過去」が浮かび上がってきているというのが本書が語る要点。
ただし、日本史における「古代史」の枠組みに捉われて、いささか視野が限られたように思えてならない。
近世になって、日本・徳川幕府、明・清朝、李氏朝鮮とも、みな自己完結的な国家像を造り上げて、国際関係への関心を失い、活発な相互交流に断絶が生じたのは理解するとして、せめて、元末・明初、高麗、足利時代初期くらい、ヨーロッパ人が東洋水域に登場する以前までを一つの潮流に乗った時代と捉え、考察の対象とするよう範囲を広げても好かったのではないか。そこまで広げないと、何ゆえ、三国とも近世になって国際交流に消極的な政権ばかり成立したのか、この疑問に答えを出す手掛かりすら得ることが出来ないのではないかと思った。
はじめに「交流」があった―古代史のダイナミズムを堪能!! 本作は日本の古代史を専門とし、関東学院大学教授である著者が
古代史を「日本」という枠組みで切り取るのではなく
「交流」という観点から読みなおそうとする野心的な試みです。
正史が国家によって独占されざる得ないにもかかわらず
その端々に登場する、国家を超えたスケールや国家の外で動いた人々の姿を、
イキイキと蘇らせるとともに
歴史学からも逸脱しない本書―
専門的な記述と、読み物としての面白さを兼ね備えた
とっても稀有な著作であり
繰り返し、食い入るように読みました。
なかでも、新羅商人や奄美諸島から見つかった土器の話は、
とくに興味深かったのですが
これにくわえて
帯に書かれた―
「日本」より先に、国際交流があった
―という言葉などから漠然と見えてくる
筆者が抱く古代史の全体像には
いっそうの興味を持ちました。
網野善彦さんの著作などに惹かれる方には、強くおススメします☆☆
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オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー) |

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・エドワード・W. サイード
【平凡社】
発売日: 1993-06
[ 新書 ]
参考価格: 1,631 円(税込)
販売価格: 1,631 円(税込)
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・エドワード・W. サイード ・エドワード・W. サイード ・Edward W. Said ・今沢 紀子
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,631円〜
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- Amazon.co.jp より - 「オリエンタリズム」とは西洋が専制的な意識によって生み出した東洋理解を意味する。本書(邦題『オリエンタリズム』)はその概念の誕生から伝達までの過程をあますところなく考察した1冊だ。サイードは、東洋(特にイスラム社会)を専門とする西洋の学者、作家、教育機関などの例を挙げ、彼らの考えが帝国主義時代における植民地支配の論理(「我々はオリエントを知っている。それは西洋とはまったく違った、なぞめいた不変の世界だ」)から脱却しきっていないと厳しく批判している。
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カスタマー平均評価: 4.5

他者・異人への想像力を制御する技術 1978年に発表された著作。フーコーの方法、特に「監獄の誕生」で用いられたディシプリンという視点と、これも序文で言及されているグラムシのサバルタン概念を立脚点にして作り上げたと思われる「オリエンタリズム」(東洋学)に関わる作業仮説を、多数の例証と読解、解釈で証明しようとした1冊として読める。
オリエンタリズムは一つの学問分野としてナポレオンのエジプト遠征以来明確に形成されたことが示されるが、学問分野としての形成の仕方、研究者団体の組織化と社会化・政治化、研究対象を系統だって把握し、関連する知識の蓄積・精緻化を目指す姿勢は、村上陽一郎氏の著作で示されている自然科学のそれと余り変わらない。オリエンタリズムが他の科学と異なるのは、その対象が一定の地域(オリエント)に実際生活している人々、飯を食い市場を歩き回る人間、心に痛みや喜びを感じ、泣き、笑う人間であることだ。オリエンタリズムがその学問分野・文化の表象で目指すディシプリンは、オリエントの人々がオクシデントの人々と本質的に同じ人間として取り扱うことが出来るしそうすべきであること、オリエントの人々が日々過ごす生活をオクシデントの人々は知ろうとしていないこと、そんなことに思いを至らせるような想像力を働かせないように組織されていることが、この上巻では示されている。上記のディシプリンを要求するのは帝国主義の宗主国としてのイギリス及びフランスが植民地としてのオリエントに対して政治・経済上握っている利害であり、オリエンタリズムも政治・経済上の利害と相互に勢力を強め合い利益を得ていた様子が何度も示される。
この書物はオリエンタリズムという問題領域自体を作り出した1冊といわれているが、私たちの日々の振る舞いにも敷衍して用いることの出来るという意味で、とても身近な内容だと思う。
知と権力 「現実」という言葉を考えてみたことはあるだろうか。
サイードは、言語学、歴史学、哲学などの学問において最高の権威を持つヨーロッパ人を批判する。彼らは東洋という想像の世界に夢を抱き、同時に自らを再発見しようとする。オリエンタリズムとは、単なる東洋の偏った表象ではなく、自らの表象でもあるのだ。
それは、まさに他者という鏡を通して自らを見出す人々を同じだ。
しかし、東洋学者達の労苦は結局、植民地主義や帝国主義へと繋がっていく。それは、自らよりも劣った他者を助けようという美辞麗句に基づくものであり、本当の価値を見失った結果である。
本当の価値を見失い、目の前の美しき現実に振り回されている現代人こそ、この名著を読むべきだと私は思う。
イデオロギーのデタラメさを示す好著 「非文化的・強欲・性欲過多・狂信・・・etc.」という中東人のイメージが、いかにいい加減な近代欧米人の記述により生まれ、図書館とアカデミズムという制度の発達を背景にした「引用」の網目の中で強固なイメージになっていったかを示す快著。パレスチナ生まれの著者が米国社会で経験し続け我慢できなかったと思われる「オリエンタリズム」への怨念が膨大な引用に結びついているのだが、「テクストと知の蓄積」がいかにオリエンタリズムという錯覚を生んだかという論証のためにも、これだけの引用量が方法論上必要だったのだろう。
なお、著者がどこまで意識的していたかはともかく、オリエンタリズムの成立は(、当初は「文献学」と呼ばれたと思うが)「人文学」の成立と並行しており、この本は奇しくも「人文学」のイデオロギー性にも暗に気づかせてくれる。
この点で、「人文学者」と自らを呼ぶ著者が本著の中で文学研究の重要性を強調さえしているにも関わらず、この本はその立脚点である「人文学」の脱構築としても結果的に機能してしまっている点が面白い。そして、このことは(冒頭でフーコーに言及している)著者が良質のフーコー読者だったことを示している。
壮大な体系のいかがわしさ 参照と引用、それに基づいた観察と記録、さらにその参照といった繰り返しの中で強化され権威づけられていく定説。それに政治、経済的利害と小説などの文化とが絡み合いながら、オリエンタリズムという壮大な虚構が育まれていく様子を、執拗なまでに探り、暴いていく。
しかしこの本の価値は、そうした“オリエンタリズム”だけに限定されるものではありません。学問と文化、政治との絡み合い。それぞれは単独に存在するのではなく、互いに影響し合い、利害関係を持っています。政治的状況から文化は大きな影響と制約を受けます。それは逆についても言えることです。
学問、文化、報道、そして政治的、経済的利害・・・学会の権威や定説を守るための、異論を排斥しようとする力学。それらの土台の上に、参照と引用、観察、そして強化され築かれる定説。支配的な価値観、パラダイムはそれ自体が現実と見なされ、信仰している自覚すらなく、独断的教義として多くの人々の間に浸透し、放っておいても人々はそれを守ろうとする。かくしてそれは人々の間で絶大な力を持つ。そうした力学の存在。私はこの本を読み、そのいかがわしさと複雑さに頭が重くなりました。
学問、文化、報道、いかなる分野にせよ、根本的にものを考えようと思うなら、この厳しく困難な仕組みから目を逸らすことは出来ないでしょう。
二重の共犯関係によるオリエンタリズムの亢進 近代に入り、歴史学・文献学等の知の分野で、オリエント(東洋)に関するテクストが集積された。オリエントについての膨大なテクストの集積がオリエンタリズムだ。オリエントに関する膨大なテクスト達は、西洋にとっての他者であるオリエントの表象を、西洋人たちにもたらした。その表象は、西洋人たちが「オリエント」と指し示す人々の表象だが、重要なのはこれらの人々の多様性・個性が切り捨てられた表象ということだ。独り歩きする表象は、やがて“真理”となり、「オリエント」と呼ばれる人たちがそこに取り込まれていくだろう。
サイードは、膨大なテクストをもとに、西洋=オリエンタリズムがいかに異文化=オリエントを表象してきたか分析し「オリエント」は西洋がかってに作り上げた都合よい他者イメージであることを指摘する。そしてサイードは、西洋とオリエントとの間に、権力・支配関係を見出す。
ここに彼は、フーコーの提起した知と権力の相互作用を見る。オリエンタリズムという知の体系が帝国主義権力によるオリエントの植民地化を促進させ、同時に権力に促されたオリエンタリズムが権威を持っていく。第一の共犯関係。
さらにサイードの議論で重要なポイントは、当のオリエントがオリエンタリズムにとって他者であるという点だ。つまり、皮肉にもオリエント自らが、オリエントのイメージを代表=表象する(represent)資格も能力もないので、西洋にイメージを作ってもらわなければならない状態だ。「オリエントは西洋にとっての局外者(アウトサイダー)であるとともに、西洋に合体させられた弱いパートナーでもあった」((下)、p.26)。オリエントの人々はオリエンタリズムのイメージに沿った「オリエント」へと訓練されていき、オリエンタリズムに寄与するのだ。第二の共犯関係。
このようにオリエンタリズムは二重の共犯関係のもと、文化的優勢を勝ちえた。
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孟嘗君と戦国時代 (中公新書) |

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・宮城谷 昌光
【中央公論新社】
発売日: 2009-05
[ 単行本 ]
参考価格: 756 円(税込)
販売価格: 756 円(税込)
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・宮城谷 昌光 ・宮城谷 昌光
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| マーケットプレイス
新品価格: 756円〜
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カスタマー平均評価: 4

春秋・戦国を理解するのによい本です 最近、なぜか小説がほとんど読めなくなっています。陳舜臣「小説十八史略」や司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は若いときであったので読んでいますが,宮城谷昌光の小説は読んでみたいと思いつつほとんど読まずにきました。旅先の空港で宮城谷昌光「孟嘗君と戦国時代」という中公新書を見つけ買って読みました。
地図や年表や系図が適切に配置されているのと、時間と空間をうまく整理して書かれているので中国の春秋・戦国の歴史と人々の「生き様」がよく分かりました。王や王族、家臣だけでなく、孔子や孟子なども時代に生きた人としてよく理解できるように書いていました。
なかなかにいい本です。「重耳」や「孟嘗君」などの小説も今読みたくなっています。
小説・孟嘗君の良き副読本 文庫本で5冊になる著者の小説・孟嘗君が、秦を改革した公孫鞅や斉に亡命した孫ピンの活躍に半分以上の頁を割いていたように、本書も決して孟嘗君だけに光を当てている訳ではない。第一章で春秋時代と戦国時代の年代区分、両時代の違い、戦国時代初期をリードした魏の文候と孟嘗君もその一人である戦国の四君に触れ、第二章で春秋時代(桓公と管仲も述べる)から田氏がのっとるまでの斉の歴史を概観し、第三章で威王に焦点を合わせる。第四章は斉の二大戦争として桂陵の戦いと馬陵の戦いを扱うので、孫ピンの兵法が中心。第五章?第八章で孟嘗君の父、孟嘗君の生い立ちからその活躍、そしてその死までを食客数千人や鶏鳴狗盗の故事を含めて親子二代の事績を辿る。ただし、第六章は諸子百家のまとめ。
本書は小説ではないので、史書に記された史実にしぼり、史書間で矛盾があるときは著者の考察を加え、孟嘗君および前史を含めた時代背景を解説した作品だ。小説・孟嘗君(と小説・楽毅)をこれから読もうとする人にはよい参考書となるし、既に読んだ人にもその内容を簡便に振り返ることができる。冒頭で紹介される祇園祭りと孟嘗君の意外な関係の他には特に新規な発見はなかったが、孟嘗君を中心とする戦国諸国のかけひき、その中での人間としての生き方が、著者の的確なフィルターの選択によって要領よくまとめられている。巻末の主要国の公・王室系図と紀元前361年から同279年までの年表は諸事件が複雑に絡み合う戦国時代中期の歴史を整理するのにとても便利。これだけでも、著者の中国・戦国時代もののファンにとって本書は「買い」だろう。そして改めて戦国時代の面白さに心惹かれる。
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オリエンタリズム〈下〉 (平凡社ライブラリー) |

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・エドワード・W. サイード
【平凡社】
発売日: 1993-06
[ 新書 ]
参考価格: 1,631 円(税込)
販売価格: 1,631 円(税込)
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・エドワード・W. サイード ・エドワード・W. サイード ・Edward W. Said ・今沢 紀子
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,631円〜
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カスタマー平均評価: 4.5

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世界の歴史〈2〉中華文明の誕生 (中公文庫) |

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・尾形 勇 ・平〓 隆郎
【中央公論新社】
発売日: 2009-07
[ 文庫 ]
参考価格: 1,850 円(税込)
販売価格: 1,850 円(税込)
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・尾形 勇 ・平〓 隆郎 ・尾形 勇 ・平〓 隆郎
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,850円〜
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カスタマー平均評価: 0
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アンベードカルの生涯 (光文社新書) |

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・ダナンジャイ・キール
【光文社】
発売日: 2005-02-16
[ 新書 ]
参考価格: 1,050 円(税込)
販売価格: 1,050 円(税込)
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・ダナンジャイ・キール ・ダナンジャイ・キール ・山際 素男
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,050円〜
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カスタマー平均評価: 5

お師匠さま! 数年前インドに行った時、現地人ガイドの話でアンベードカルという存在を知った。「新仏教の創始者」という紹介だったので、初めは胡散臭く思っていた。
本書を読み進めるうち、その人柄や行動力に引き込まれていき、私は勝手にこの人の弟子になったのであった。
たくさん売れる本とは思えないので、再び絶版となってしまう前に入手しておいた方がいいかも知れない。
訳者の山際素男氏が、まえがきの最後で「本書を世に問うて下さった光文社の小松現氏に心から厚くお礼申し上げたい。」と仰っている。同感!
なぜ日本では無名なのでしょうか? インドに関する偉人と言えば、ガンジーくらいしか思いつかないのが、ごく普通ですが、インド国内では、ガンジーを凌駕する人気を誇っているのが、アンベードカルです。
彼は不可触民(ヒンズーに於ける最下位のカースト)の生まれながら、大変な努力の末、イギリスとアメリカで博士号を取得し、インドでは初代法務大臣として憲法の起草に従事し、その傍ら、不可触民の地位向上の為に、それこそ粉骨砕身した人物だったのです。
本書ではそんな彼の生き様を余すところ無く伝えていますが、彼の意志の強さ、ねばり強さに大いに共感すると共に、このような人物を全く知らなかった自分の無学さに打ちのめされる思いがしました。
こんなすごい男がいたのか! 不可触民として生まれ、独立インドの初代法務大臣にまで登りつめたアンベードカルの生涯は、とにかく激しいの一言。インドのカースト制に挑み続け、何度も絶望し、最後には仏教徒として生涯を終える彼の姿に、インド社会の複雑さを思い知らされるとともに、それでも戦い続けた彼に賞賛を禁じえない。特に、ガンジーとの丁々発止の対決は必見。ガンジーを見る目ががらりと変わる。 本書は伝記でありながら、筆致は非常にドラマチックで、ぐんぐん引き込まれる。インド近代史を知るのに欠かせない一冊だと思う。
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中国大虐殺史ーなぜ中国人は人殺しが好きなのか |

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・石 平
【ビジネス社】
発売日: 2007-11-13
[ ハードカバー ]
参考価格: 1,575 円(税込)
販売価格: 1,575 円(税込)
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・石 平 ・石 平
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,575円〜
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カスタマー平均評価: 5

媚中派は真っ先に粛正される 今更述べるまでもなく、中華人民共和国は自国民を最も多く虐殺した国である。文化革命の残虐性については多少国内での認知度も上がってきたと感じる。
「項羽と劉邦」・「三国志演義」ファンなら知っていよう。数々の戦いの犠牲の多さと、投降した兵士・平民への扱いを。論語にも人肉を塩漬けにする下りが記載されている。そういう風土の大陸なのである。あそこは。
石平氏は、その大陸文化に共産主義という大義名分を手にした狂気の独裁者毛沢東の生涯を、彼の虐殺史という観点から本書に記述した。共産党が結党当時から毛沢東による人民虐殺と内部抗争を繰り返し、国家を樹立してもなお国民を屠殺した記録を掘り起こしている。でっち上げによる内部粛正、資金確保のための1村あたり1地主の殺害、都市部では1000人に1人とノルマ化された祝日前の公開処刑、リンチ、強姦、焼き印、膣に差し込まれる火掻き棒。読書前の期待を裏切らない想像通りの残虐ぶりである。
この共産党に媚びる政財界の諸氏及び平和団体と名乗る方々は、日本が支那共産党の支配下に置かれた場合、共産党の手順に則って真っ先に家族ごと粛正されることが理解できないお利口さんなのである。
戦慄の歴史 「虐殺史」、まるでそんな歴史学の分野が成り立つかのような、苛烈で陰惨な歴史に唖然せざるを得ない。
本書の夥しい虐殺例うち、すさまじい一例を紹介しよう。
17世紀半ば、反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度だという。大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動するため、張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。成都の街全体が「人肉加工場」に化したと云う。
石平氏によると、この張献中と毛沢東とは、その時代やイデオロギーは全く異なるとしても、人民に対する残虐性や心の深層において酷似するという。そして、そのキーワードが社会から排斥された「遊民」であり、主流社会にたいする恨みと報復心なのだと。本書は日本人にわかりにくい、かの国の社会構造の一端を知る手がかりともなるだろう。
暗黒大陸の名にふさわしい どこを開いても虐殺のオンパレードです、場面を想像しないように読み進めていましたが途中で断念しました。
けれど、これがこの国の実態であり今現在も変わっていないという事を知るには、やはり多くの人に目を通して貰いたい一冊だと思えます。
このような国がご近所にあり、虎視眈々とこちらを狙っているのかと思うと心底ゾッとします。
自国の人間ですら考えも付かないような虐待死をさせる国が、他民族として蔑視している人間を虐殺するのに、躊躇するどころか嬉々としてやるであろう事が見えるからです。
日本がいつか中国に取り込まれてしまうかもしれないというのは絵空事ではありません、だからこそこの本を読んでみたのですが・・・・・。
今現在弾圧されているチベットやウイグルの人達の事が心配でなりません、この本を読むまでは『反抗した男の人達が銃で撃ち殺されているのでは』と心を痛めていました、今では『赤ん坊も女性も年寄りも含めてどんな虐待を受けどんな残酷な死に方をさせられたのだろう』そう思い涙が止まりません。
過去の事ではありません、今現在進行中の事であり、これから先も実現してしまう事かもしれないのです。
絶対権力が原因なのか? 読んでいて、途中で気持ち悪くなりました。
共産党による殺人ノルマ(または反体制派告発ノルマ)にしても、
過去の王朝における虐殺行為にしても、なぜこんなに人に対して残酷になれるのか?
権力者が発する「明らかに異常な指令」に対して、なぜ人は従うのか?
普通は、それに異を唱える良識派や、それを支持する人々がいると思うのだが。
無垢な子供なら権力者(偉い人)の発言を、すんなり受け入れる場合も
あるでしょうが、いいオトナまでもが、それに従うのか?
そもそも、共産主義政権が成立する過程で、村では地主が殺されていたとは…
日本の戦後の農地解放は、賛否あるにしても、全体としては肯定的に評価されているが、
ここまでくると無茶苦茶としか言いようがない。
中国を知る このように人命が、空気の様に軽く扱われる国に生まれず、地球より重い日本に生まれ本当に良かった。日本人の不幸は彼等と顔が似てる所だが、知れば知るほど恐ろしい血塗られた歴史に、特異な隣人の性質が窺えます。日本人は先人に感謝しつつ日本文化を死守しなければなりません。
四川大地震で公安当局の連中が、どさくさに紛れて、赤ん坊を転売目的(約2万円)で誘拐していたそうだが、もう驚きません。日本人とはメンタリティがまるでちがうのです。
日本で万引きを繰り返す金持ち中国人観光客などかわいいものです。
今後このような人々がどんどんこの国に流入してくるでしょう。現在、不法滞在も含めると100万人との説です。(警察筋)日本全国にチャイナタウンを増殖させ、3年以内に2倍になるそうです。大手企業も率先して採用する方針です。日本国旗や神社に唾を吐きかける様な者でも、より簡単に日本国籍を所得できるようになり、すぐに1000万人に増えます。
中川秀何某とかいう売国政治家がこのような事に多大な貢献をしています。
40年以内に日本を東海省と日本自治区に分断し統治しますが、もっと早くなりそうですね。
その頃私は死んでいますが、子供たちの笑顔を見ていると、将来、差別迫害され、中国語を強要され少数民族『大和族』として、宗主国に搾取され最底辺の暮らしを強いられる姿を想像すると胸が締め付けられます。今の世代の責任です。そしてこの本を思い出すでしょう。『中国人を知らなかった・・・。』と。
『中国の民衆殺戮』と共に必読書です。
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