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それでも、日本人は「戦争」を選んだ |

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・加藤陽子
【朝日出版社】
発売日: 2009-07-29
[ 単行本(ソフトカバー) ]
参考価格: 1,785 円(税込)
販売価格: 1,785 円(税込)
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・加藤陽子 ・加藤陽子
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,785円〜
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カスタマー平均評価: 5

戦争を避けるには、戦争をよく知らねばならない! 近代日本が行った戦争という話になると、戦後は一切戦争をしていないので、明治維新から終戦までという話になるが、日清日露の両戦争に代表される前半と、満洲事変に始まり終戦に至る15年戦争に代表される後半に大きく分かれる。前半の日清戦争はともかく、日露戦争は全くの辛勝で、いくつかの大きな幸運に助けられたという側面は否定できず、織田信長の行った戦争に例えるなら、桶狭間の戦いあたりになるのであろう。ただし織田信長は生涯に一度しか桶狭間の戦いのような戦争をしていないが、日本軍はこの日露戦争をその後の範としてしまったところがあり、太平洋戦争末期の負け戦であることが歴然としている状況下でさえ、インパール作戦のようなとんでもない起死回生の大博打を打って墓穴を掘っている。そして前半と後半の間にくるのが第1次世界大戦であるが、ここでは本格的な戦闘をなんら経験せずに漁夫の利を得たことが、かえって総力戦時代に見合った軍隊の近代化を遅らせることになる。太平洋戦争を待たずとも、そのことが如実に現れたのがノモンハン事件で、2度の五ヵ年計画ですっかり様変わりしたソビエト軍に、泣く子も黙る関東軍は翻弄されることになる。
前半と後半を分ける大きな違いは、前半は、軍人ではないが日清戦争でPivotal Leadershipをとった伊藤博文あたりが典型的であるが、幕末に下級武士としての教育を受けた人達が担ったのに対し、後半の戦争を担ったのはいわゆる陸大あたりで養成されてきた軍事Technocratsで、東条英機あたりがその典型となる。近代国家の戦争は、国家をあげての営みで、特に第一次世界大戦後のように総力戦の時代に入ると、なおさらである。当然軍事と政治、外交、経済がきちんと統括されないとまともな戦いはできない。下級武士の教育というのは、いわゆる儒学と朱子学中心というか、要するに、論語あたりを幼い頃から、意味がわかろうがわかるまいが関係なく、素読させる。それでどういう技術が身につくというわけでもないのだが、大所高所から考えるという人生や社会に対する処し方は身につく。技術的なものは後で必要になれば、大急ぎで勉強することも、あるいは下の者に任せることもできるが、この大所高所から考えるという態度は一朝一夕に身につくものではない。これに対し、陸大あたりの教育は、完全に軍事技術的な話に偏り、戦争でLeadershipを取る人間に絶対欠かせない社会科学あたりの教育はほとんどないかお粗末そのものである。結果として、蛸壺的な軍事に関する知識以外には、他愛もない精神主義しかない軍事Technocratsを大量に生み出し、こういう人間が、国家をあげての軍事体制に移行して、経済や外交にも嘴をはさんでくるようになるとどうなるかをまざまざと示しているのが、15年戦争の頃の日本である。太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃の折も、敗戦を決定的としたサイパン陥落の折も首相の座にあったのは東条英機である。安部信三元首相の外祖父にあたる岸信介は、東条内閣に商工大臣として入閣しているが、東条を評して”裸にすれば、橋本欣五郎以下の男だ”と喝破している。橋本欣五郎というのは、三月事件と十月事件というチャチなクーデター未遂事件を起こした桜会の中心人物で、奇矯な行動で有名な方である。ドイツの社会学者Max Weberは”最高の官僚は最低の政治家である”という名言を残しているが、これが見事なまでに当てはまるのが最高の軍事官僚であった東条なのである。東条の側近であった星野直樹は東条を評して、”やれと言われれば何でもできるが、そこから先がない”と的確なCommentを残している。官僚というのは、規則にさえ従っていれば、その結果に対して責任を問われることはない。これに対して政治家は結果責任である。満州事変の立役者で、東条と犬猿の仲だった石原莞爾あたりになると、もっと辛辣で、極東軍事裁判の参考人として”あなたと東条はよく意見の対立があったようですが...”と水を向けられると
”私には多少とも意見がありますが、東条には意見と呼べるものが全くありません。意見のないものとは対立のしようがありません。”
と鰾膠も無い。
著者の加藤陽子女史は一貫して近代日本の戦争史を研究されている方で、今の日本でこの話題を語らせたら、女史の右に出る者はいない。是非一読を薦めます。御主人が東進High Schoolで日本史を教えておられることが関係あるのかもしれないが、女史は最近若者への啓蒙活動に力を入れられているようである。
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日本人の歴史教科書 |

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【自由社】
発売日: 2009-05
[ 単行本 ]
参考価格: 1,500 円(税込)
販売価格: 1,500 円(税込)
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,500円〜
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カスタマー平均評価: 4

優良の教科書 バランスのとれた教科書がようやく登場、というのが正直な感想。
自虐史観オンパレードだったこれまでの歴史教科書とは違い、是々非々の歴史評価、不明なところは不明と書き、反対の学説も紹介する誠実さ。教科書としてはバランスのとれた優秀作品です。
これは中学生のみが読む本ではありません。 本年、新教育基本法ができたにも拘らず、8社のうち7社は4年前と同じ教科書を、採択に提出している。要は、金のために作っているということである。
唯一、新しく編纂されたのが、この自由社版、である。
これをご参考にするとよろしいでしょう。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=HULQspyz0z4
子供のみならず嘘を教わった大人に読ませたい 歴史の断片だけでなく連続性を感じられるのが非常に良い。個々の事象の意義の記述も判りやすく、次の興味に繋がる。
淡々と事実を学んでいくだけで日本の歴史の深さと特長に誇りを持てる。
一番「マシ」な「売国教科書」 評判がよさそうだったので期待して購入してみたが、ガッカリ。
前回の出版で指摘された箇所
(大東亜戦争の大義に関する記述、グルーが日本を救ったというコラム、
原爆投下のおかげで戦争が終結した等々)の
デマも含んだ親米系の記述がそのまま残されている。
それどころか、朝鮮・台湾統治に関する記述もおおきく
「苦しみを与えた」系の記述に傾いている。
何を考えているんだろう?全く腹立たしい。
そもそも「歴史を学ぶとは」という巻頭文からしておかしい。
2001年版のものはまさしく「歴史を学ぶ」ことの意味が
誰にでも、目の前に開けるように理解できる名文だったと思うが
この教科書が打ち出したい歴史観をダラダラと書いているだけの
せせこましい文章に変わってしまっている。
これでは何の意味もない。
それだけでなく、この文章は
「皆さんと血のつながった先祖の歴史を学ぶ」
などと書いてあり、この教科書で日本史を学ぶのは「血統としての日本人」
だけだと思いこんで書いているのが致命的である。
安易な外国人受け入れや多国籍主義への警戒感には理解できるし、抵抗が必要だろう。
しかし、これから日本人として暮らしてゆこうとしている
まっとうな「元・外国人」もいることを忘れてはならない。
そういう人たちにも、日本人としての誇りを持ってもらえるように
血統ではなく文明としての日本人を前提に書かなければならないはずだ。
個人的には、金返せと言いたいくらい不満な出来で
結局、 2001年扶桑社版のものがやはり一番優れていたと言える。
それでも日本の教科書自体が元々超・売国教科書ばかりであり
売国かどうか以前に歴史というものが解っていない教科書であるため
この程度の教科書でも、一番「マシ」であろうと考えられる。
そのことがなおさら悲しい。
教科書に関してはもう一団体、教科書改善の会とかいうものがあるが
組織としての実力に不安がある。
日本の教科書問題は、まだまだ混迷を極めるであろう。
『日本を貶めた10人の売国政治家』 おもしろい本ですよ。『日本を貶めた10人の売国政治家』(幻冬舎新書)小林よしのり編集ぜひ御一読を。
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新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 |

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・小林 よしのり
【幻冬舎】
発売日: 1998-06
[ 単行本(ソフトカバー) ]
参考価格: 1,575 円(税込)
販売価格: 1,575 円(税込)
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・小林 よしのり ・小林 よしのり
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新品価格: 1,575円〜
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カスタマー平均評価: 4.5

不思議な本 これは不思議な本だよ。ネットに力がなかった時代、新聞・テレビ・雑誌に完全に無視される中あれだけ売れたわけだから。さすがに40万部越えてからは、耐え切れなくなって朝日新聞が社説で2度取り上げるなど、バッシングし始めたわけだけど。読んでみて面白かったけど、売れるとは思わなかった。当時としてはそれくらい過激に思えた。
サヨクよりはマシだけど 著者は、イデオロギーを史実の上に置いています(だから ゴーマニズムなんだと言われればそれまでですが)。つまり"正しい史実"ではなく、イデオロギーに合わせた"都合の良い史実"です。それ自体は構いません。どこの国でもやっていますので(韓国の教科書には日本の投資はもちろん、原爆投下の記述すらありません)。問題なのは、読者の多くが知識の補完として本書を利用している事です。そして、そこからイデオロギーが生まれると言う逆転現象が起きています。タイトルにもしましたが、それでも戦後教育で造られたサヨクよりはマシです。性善説に裏打ちされた幼稚な国家観しか持てない連中(侵略とか言う奴)を過去の遺物とした功績は称賛に値します。 しかし、「知るきっかけ」などと言いながら、実際は本書で得た知識だけを信じ、それに合わせた資料集め(補完作業)に奔走する人が多い様に思います。疑問の残る知識(少しググれば解ります)を正しい知識として得た国家観は脆弱です。著者が策士か純粋マッスグ君かは、まだ判断出来ませんが、本書を手に取る方には、本当の意味で"きっかけ"にして欲しいと思います。
社会人としての良心に欠ける この本の特徴は、作者の言いたいことに合わせて都合のいいように事実を切り張りしている点である。
この本に限らず、私は作者の主張に対し、以下のような疑問を持っている。
@日本人の誇りは大切である。では、誇りになじめない人間はどうなるのか? 日本国憲法に定められた精神の自由には当てはまらないのか?
A自分の国を自国民で守るために、徴兵制が必要。
→現代戦争において、徴兵制は名簿の作成や軍服の準備、さらに高度な専門性を養うことができないために歩兵しか養成できないなど、デメリットの方が大きい。なのに、必要なのか?
他にも疑問はつきないものばかりである。
マンガは、絵という視覚的情報によって事実を伝達する。文章では論理的に破綻してしまうような事実でも、絵を使えばさも当然のように伝達できる。
歴史的な事実を主張するに当たって……必要なのは、文献やデータから事実を客観的且つ論理的に読みとる力である。
客観的かつ数量的なデータがあり、それについてどのように考察したのかを明らかにした上で結論を出す。
思いこみやイデオロギーではない、事実を伝えること。
それが歴史を考察する上での常識であり、一人の大人として子どもたちに事実を伝えていく人間としての努めではないだろうか?
この本のように、論理的な解釈を行わないまま、作者の思想や感情を絵にして垂れ流すことは、そのつとめを破棄する行為である。
マンガの力を使って荒唐無稽な主張をするのは、子供を洗脳する行為に思えてならない。
マンガを生業とするものなら、自らの作品の影響力や職業倫理をわきまえる必要がある。
日本の良心、ここにアリ! 小林よしのりという漫画家をさほど評価していなかった私は、この本を精読して評価を一変せざるを得なかった。我が国の近代史においての内容の多くは、高校時代から様々な保守論客の著書を読み漁っていた私にとって決して真新しいものはなかった。しかしながら、この本には当時の日本人の証言が、丁寧に描かれている。私は、「大日本帝国の偉大さ」を理解した。私は、国体主義者でも、皇国主義者でもない。ただただ、日本人の帰る場所を守りたい一心が日清、日露、第一次世界大戦、そして大東亜戦争にあったことが本質的に理解できたのだ。
日々、仕事に忙しくしている我々を何も変わらず、迎え入れてくれる場所(家)があるならばどれほど、心休まることか。
現在、日本は市民ならぬ「私民」が世界に日本を売り渡し続けている。政治を、経済を、教育を動かしている。真実に気がついた我々は、「鋼鉄の意志」で日本という日本民族の家を守り抜かなくてはならない!白人の人種差別から祖国を守り抜いた偉大な先祖の血を受け継いでいる我々に出来ないはずが無い。
小林よしのり先生、勇気を有難う!
ちょっとどうかな 思想的に問題がある箇所が何箇所か・・・
個人の思想はどんな思想でもいいわけですが
出版物となると問題の思想もでてきますよね、
漫画家の書いた思想本として
意外と真実が描かれているところもあります。
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1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産 |

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・小熊 英二
【新曜社】
発売日: 2009-07
[ 単行本 ]
参考価格: 7,140 円(税込)
販売価格: 7,140 円(税込)
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・小熊 英二 ・小熊 英二
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新品価格: 7,140円〜
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カスタマー平均評価: 3

「……それでは闘ってはいけないのでしょうか?」 評者はバブル崩壊後に成人した世代ですが、本書に描かれる父母の世代の若者たちの叛乱にまったく感情移入して読みました。上巻の「叛乱の背景」に書かれている当時の中学高校の様子を見て、ああ、自分の生きた時代の原型はこの時期に作られたのかと分かり、それで彼らに同一化してしまったのです。なので著者はなるべくサラッと書こうとしたに違いない連合赤軍の章はこたえました。いくら小事件といわれても、やはり強烈ですね。この章だけは読み返したくないです。しかし、著者の言う通り、過剰な教訓を読み取ることは避けるべきです。
すべて読み終わったときは、何だか荒涼とした原野につれてこられて、その場で捨てられてどうしていいか分からない、というような感情に襲われました。これは厳しい本です。何か分かりいい結論を示してはくれません。しかし、それにもかかわらずこうまで感動的なのは何故なのか。ここでは歴史と物語が危ういほどその境界を曖昧にしてゆきます。あの『悪霊』に勝るとも劣らない読後感です。それにしても大変なものを書きましたねえ、著者はこのあと大丈夫でしょうか、校正中に倒れたというし……お大事にしてください!
偽史以下のバッタ本 上・下巻あわせて二十箇所近くもさんざん(しかも前後の文脈を抜きに恣意的な小熊流ストーリー,手っ取り早く言えば歴史の捏造そのものの部品として)「引用」もしくは「参照」されている人間として申上げるが,小熊英二クンという人物はそもそも文献処理の基礎的訓練が全く出来ていない。これが「学術書」(序文)の類でないことは事改めて申すまでもないこと,1968年1月17日の佐世保において社青同解放派が青ヘルメットで登場し,それに対抗して社学同が翌日から赤ヘルメットで出現したという荒岱介の回想が,筆者の勝手なストーリーの中では中核派が白ヘルメットを被ったという話にまで変形させられる。市民運動に「革命的に介入」していったブント系高校生運動が「多くのセクト活動家同様(中略)「ベッペ」と蔑称するようになっていた」とあるが,そもそも筆者が参照している拙著を普通に読めば,そのリーダーである私自身がセクト活動家そのものであったことは明白で,ベ平連など最初から莫迦にしきっていたことも明らかである。本「田」延嘉だの梅本克「巳」だのと,あの時代のキー・パースンの名を筆者が誤入力し,斯る好い加減な原稿をチェックしえぬまま斯様に明確な欠陥製品を市場に出してしまった版元の制作・校正態勢の不備も指摘せざるを得ない。版元の主力商品は教科書だそうだが,あらためて社内で全面的に検討すべきではないかと,老婆心ながら申上げたい。
勇気ある問いかけ 先にレビューを書かれた方が指摘しているとおり、著者の書きたかったのは下巻の第14章以降であろう。
それにしても「あの時代」を直接体験できなかった世代がうすうすと感じていたことー「全共闘運動など虚妄に過ぎなかった」ということを手間ひまかけて論証する著者の力業にはただただ敬服するばかり。
歴史書としては穴だらけであるが、そもそも著者は学術書として書いたのではなかろう。これは問いかけの書であり、今人生の曲がり角に経っている全共闘世代への挑戦状である。もし、1968年前後に抱いた疑問を持ち続けて人生を生き抜いてきたのであれば、退職して弟二の人生を始めるスタートラインに立った全共闘世代は、行動で答えを返さなければならない。書くことでもよい、実践の活動でも良い。そうすれば後に続く者は必ず登場するだろう。
1962年生まれの著者からの熱いエールの書であることを読み取ってほしいものだ。
感動的な本 社会科学の研究書に対してこのような感想を持つのはおかしいと思われるかもしれないが、本書の読了感はあのモーゲンソーの大著「国際政治」を読了したときに感じたものと同質である。あの一見無味乾燥なリアリズムの古典が、モーゲンソーの「二度と悲惨な大戦を繰り返させたくない」という思いに裏打ちされているように思われたのと同様に、この小熊氏の大著には、「新自由主義によってセーフティネットが崩壊し、安定した生活を失ったひとびとの怒り」に対して、1970年パラダイムに替わる、新しい言説が必要なのではないか、という真摯な思いに貫かれているからである。そしてそのような観点から1968年を眺めることこそ、この運動を分析する意味があると著者は考えたし、筆者もそれはよく理解できた。
その観点からすると、本書の読みどころは上巻ではなくこの下巻にあり、特にベ平連とリブ運動を扱った章、そしてとりわけ「結論」の章であると思われる。いろいろな批判はあるだろうが、小熊氏の狙いがどこにあるかを洞察しなければ、それらの批判はすべて有効ではないだろう。つまり小熊氏が提出しなかった(できなかった)新たな分析の枠組みを提出しなければ単なる批判のための批判に終わってしまう。本書はあくまで発展的に批判されるべき本だというように理解したい。
ただただ、困ってしまう。 この本が労作だとわかるだけに、この事実関係において間違いの多いらしい本が「正史」として残るのは困ってしまうなあ。例えば、高校生の闘争について学芸大学附属高校など3校の闘争がわざわざ、1970年に他から遅れて行われた、と書いてあるが、映画の解説本である朝日新聞社刊『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』にも1969年10月20日付けの記述で「学芸大付属を含む7校が都内でバリケード封鎖中である」趣旨の記述がある。せめて事実関係は新聞の縮刷版くらい当たって正確を期して欲しかった。
著者サイドか、第3者が正誤表でも作成してくれないと、この本は・・・・評価の下しようが無いです。
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そうだったのか!日本現代史 (集英社文庫) |

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・池上 彰
【集英社】
発売日: 2008-12-16
[ 文庫 ]
参考価格: 760 円(税込)
販売価格: 760 円(税込)
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・池上 彰 ・池上 彰
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新品価格: 760円〜
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カスタマー平均評価: 5

日本現代史を学ぶ決定版!! 超オススメです 戦後からバブル前までの日本がどのように復活を遂げてきたのか、その光の裏にある影の部分にどんなものがあったのかについて、丁寧に書かれています。現代史を概観できると共に、それぞれのパートでとても考えさせられる内容になっていて、各章を読み終わるたびにもっと深く知りたいという気持ちにさせられます。是非読んでみてください。
「日本」を知る。 大人になると自然と政治経済が理解出来るようになっている、身についているものだと子供の頃は漠然と思っていた。しかしこちらから歩み寄らなければいつまでも何も身につかないのは道理で。単語で聞いたことはあるがそれは何かと問われればイメージでしか浮かんでこない、それぞれの事象を点として理解はしているがそれが線にならない。そんな人にこそ是非手に取って頂きたい。堅苦しい言葉で埋め尽くされた書物だけが必ずしも良書とは限らない。大人も子供も皆が理解しやすい様配慮された本書は正に良書だと言える。本書冒頭「はじめに」で池上氏が取り上げているリルケの言葉が印象深い。『遠く過去となってしまった人々も私たちの内に在るのです、素質として、私たちの運命の上の重荷として、ざわめく血潮として、また時の深みの中から立ちのぼってくる姿態として』『』部分は抜粋。
知っておくべき内容だと感じた 日本の戦後で大きい話題となった事項について分かりやすく書かれています。
それぞれの出来事は覚えているのですが、歴史的背景とつなげることにより理解が深まりました。
今現在の日本を知る上で戦後の出来事を理解しておくことは非常に役立つと感じました。
点が線になり面になる 戦後のいろいろな出来事を「自衛隊」「安保条約」「日教組」「沖縄」「田中角栄」などテーマを絞って解説してくれています。
私にとって、それぞれの事件・事象は「点」で知っていても、それがどういう流れの中で起きたのかは整理でないままでいました。本書のシリーズはテーマを絞って「線」を作ってくれ、結果的にわたし自身の中に戦後の歴史に関して「面」を形成させてくれるます。
歴史を語るとき、その時代の価値観を理解しなくてはいけないと言いますが、冷戦・安保・社会党など、今の若い人たちに説明しにくい時代の雰囲気も伝えてくれます。
「日教組」を「にっきょうぐみ」と読む若い人もいるそうで笑えましたが、それが時代の変化なのかなとやや寂しさもあります。
戦後の日本現代史を俯瞰できる好著。歴史は時空間・スケールを変えて繰り返されると再認識。 昔、学生の頃に日本史・世界史を学んだ際には、第二次世界大戦後の話は身を入れて勉強していませんでした。理由は単純、学校では「試験ではあまり出ないから」という理由で授業で採り上げなかったので、「じゃ、勉強しなくて良いんだ」と一人合点してしまったのです。(本当に恥ずかしい話です。(-_-);;) 物心ついて世界・日本のニュースをフォローするようになると、戦後史の視点がスッポリと抜け落ちていることに気付き、頭を抱えることが少なからずありました。
このような経験を持つような方には、本書を自信を持ってオススメできます。スッポリと抜け落ちていた様々な事実が頭の中で繋がります。ジグソーパズルのピースが次々と埋まるかのような感覚でしたね。一冊読み通すと、本書で語られている事象は【時空間・スケールを変えて】現代に姿を現わしているかのような既視感(deja vu)に襲われます。高度経済成長とそれに伴う公害問題は、いま正に中国で起きていることです。不動産"バブル"とその崩壊・金融不安は、21世紀のアメリカで繰り返されています。もちろん、日本で起きたことがソックリそのまま繰り返された訳ではありませんが、「歴史を学ばない者は同じ過ちを繰り返す」という言葉の通りではないかと思う訳です。
そういう訳で本書の内容を知らずして、日本(及び世界)の今後は語れないとも思いました。(今年あたり政界再編があるかどうか? 各党はどのような手に打って出るだろうか、などのヒントがありますね...) なお、日本の現代史は世界での出来事・時代背景と連関していますので「そうだったのか!現代史」「そうだったのか!現代史<パート2>」と併読することをオススメします。
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康子十九歳 戦渦の日記 |

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・門田 隆将
【文藝春秋】
発売日: 2009-07-11
[ 単行本 ]
参考価格: 1,500 円(税込)
販売価格: 1,500 円(税込)
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・門田 隆将 ・門田 隆将
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,500円〜
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カスタマー平均評価: 4.5

「おわりに」の著者の言葉がなければ… この気高い生涯の物語を読みながら、私は何度か涙を流した。ただし、「おわりに」に語られる著者の言葉に幾分興ざめしてしまった。著者は、彼女のような日本人がいたからこそ、戦後の繁栄が成し遂げられたと語る。それは一面の真理ではあるが、あまりにも情緒的な断定ではないか。作中に登場する主人公の妹は、疎開先でいじめにあい、ろくな食べ物も与えられず栄養失調になり、終戦によって命からがら生家に帰宅する。もしこの妹を主軸に同じ物語を描いたとしたら、果たして著者は同じ言葉で日本人を語っただろうか。「エピローグ」までは星五つだったが、「おわりに」のために二つとさせていただきます。
戦渦から語りかける、十九歳の生と死、深い愛惜の記録に感涙 「特攻に行く人は誇りだけど。同時にそれを強いるのは、国として恥でもあると思います。私は、特攻とは、あくまで目的であって、手段であってはならないと思うの」
この言葉を、太平洋戦争下に生きる十九歳の女子学生が、毅然と言っていた事に驚きます。
粟屋康子さん、当時の広島市長の次女。高い学力とリーダーシップを持つ、やさしく愛情深い文学少女。その彼女も、戦渦で軍事工場での過酷な労働を強いられ、悲しい運命に翻弄されます。
その中で書き残された日記や手紙は、まるで文学作品のように美しく思いにあふれていて、時代を超えて語りかけてくるようです。
特に、家族を守ろうとする愛情の力強さに心を打たれました。
また、六十年前の出来事を詳細に調べ上げた情報収集力は、元編集者の筆者の真骨頂ですね。
記憶に残る一冊です。
日本人でよかった。この本を読んでよかった。 私は著者・門田隆将氏のファンである。それは、日本人を心から愛し、日本に誇りをもち、この腐敗した現代で、日本の美しさ・素晴らしさを主人公の生きざまを通して問いかけ、希望の灯を照らしてくれるからだ。
7月10日に本書が発売されるや、すぐに読み終えた。そして1カ月、何も手につかなくなった。主人公・粟屋康子さんが「お姉ちゃん」の一言を遺して逝ったラストシーンでは、声をあげて泣いた。
第二次世界大戦下、日増しに敗戦が色濃くなる日々のなかで、これほど希望をもち、これほど強い意志をもった女性がいたのだろうか。原爆で家族を失おうとも、「私、猛烈に強くなりたいの」と、遺された家族を守るために命を賭けた十九歳……。
私は戦争を知らない。広島へ行ったこともない。しかし、あの愚かな戦争のなかで「特攻に行く人は誇りだが、それを強いる国は恥である」と毅然と言い切った若き女性がいたという事実を知ったことで、「日本人であってよかった」「この本を読んでよかった」と心から思った。
「小説を書かない人は希望をもたない」と語ったのはフラナリー・オコナーだった。私は言いたい。「小説を書かずとも、事実を書くことで、門田氏は私たちに希望の明日、日本の明日を問うているのではないか」と。
太平洋戦争末期の女学生の切ない思いに涙があふれました。 涙が止まりませんでした。
女学生「粟屋康子」が克明に綴った日記には、太平洋戦争末期に東京で勤労動員として励む乙女の切なく率直な思いが詰まっていました。
明るくユーモアにあふれた家族が、父の広島市長就任に伴い両親が東京を離れ、更に弟妹の学童疎開などでばらばらに引き裂かれます。離れ離れの家族が励まし合う温かい手紙の内容に胸が熱くなりました。
しかし原爆で父と弟が亡くなり、母も、広島入りした康子の必死の看病の甲斐もなく亡くなります。そしてついには康子本人も母と同じ症状で19歳の短い生涯を閉じます。
康子が亡くなる直前までつけていた日記には家族や友人を愛する切ない気持、そして国を愛し、愛するが故に国に対する毅然とした思いが綴られています。読み終えたとき、当時の康子の悲壮な決意に思いをいたし、しばらく呆然とするほど感動しました。
また、奇跡の赤いバラのエピソードなど、著者が丹念に取材した秘話の数々にも驚き感激しました。
おススメの一冊です。
戦後60余年の時を越えて 十九歳という多感な少女時代は太平洋戦争の真っ只中だった。自らの命を捧げ家族への愛を貫いた粟屋康子さん。戦争という不合理な時代に生き 当然のように戦うことを強いられ 戦争によって家族を失い 自分の命まで落としてしまうことになる。
そんな時代の中で 康子さんの日記をとおし 若者たちの生活がタイムスリップしたみたいに鮮明に蘇ってきました。
戦争の悲惨さやこの時代で生きる人々の実像が描かれていて切なくなりました。
平和の時代に生きる私たちが これからを生きるために、今ぜったいに読むべき本だと思います。
「現在の日本が先人の尊い犠牲と、失われることのなかった誇りの上に成り立っていることを忘れてはいけない」
長い年月をかけての 膨大な取材と資料の多さ、そして康子さんを取り巻く人々への細かい後日談など様々な角度から読み応えのある内容でした。
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1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 |

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・小熊 英二
【新曜社】
発売日: 2009-07
[ 単行本 ]
参考価格: 7,140 円(税込)
販売価格: 7,140 円(税込)
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・小熊 英二 ・小熊 英二
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| マーケットプレイス
新品価格: 7,140円〜
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カスタマー平均評価: 3.5

目的を達成するための手段として、ではなく(!) 過去の著作も大著でしたが、その大著さでは圧倒的。
内容的にも圧倒的なので800字のレビューでは紹介不能なので箇条書きにて。
・上下巻あわせて(脚注を含めると)2000頁を超える大著ですが、可読性は高いです。
わりとスイスイ読めます(量が量なので時間はかかったけど)。
・当時の学生運動から連合赤軍まで、かなり批判的だった自分ですが、読中読後「あ?、
わかります」的に共感できる部分が多々あったことに驚く。
・「現代的不幸」を切り口に全体を描写しますが、しかしそれは「闘争」そのものを説明しないの
では?「現代的不幸」自体は時代に蔓延しながら、闘争に参加した学生が2割前後であるな
ら、背景としての「現代的不幸」から、現象としての「闘争」が屹立してきた要因は別に求める
必要があって、だったら「闘争」をより適切に説明するのは、その別の要因のほうじゃないの?
・戦中の大本営軍令部の愚かさ/昨今の大学教育の質を問う議論/近年のブラック企業と従順な
従業員の関係/スクリーニングを受けていないNPOやNGOなどに通じる論点が多々。
・目的を達成するための手段としての運動ではなく自己目的としての運動/政治の嫌悪って
あたりは共感するところ大だけど、冷静に考えれば負の遺産である方が大きいと思います。
・時代的な背景も含めて、事実的な描写(統計とか)には依拠せず、当事者のメンタリティを
再現しようとした記述が多く、ところによってやや過度に恣意的。
・歴史的事実に言及した著述ではなく、歴史的事実に照準した社会的事実に言及している
ただしい「社会学」的業績だと思う。その意味では「スゴイ」著作だが、過去の著作と同様に
著者自身は、自著の“学術性”を誤解している節があるかと。
いろいろありますが、これは是非広く読まれてほしい本です。
続きは下巻のレビューで(Amazon的に上下で一冊あつかいだとアップできないかも)。
今どう役立てるかが問われる オーソドックスな研究書です。
筆者が一番読んで欲しいのは、戦後史に関心がある人よりも、
社会運動や雑誌創刊を盛り上げたい人たちなのではないかと思われます。
(ニート、フリーター、派遣切りなどについての)
本書では、全共闘などの運動を感傷的な英雄物語ではなく、冷徹に、
日本で初めて「現代的不幸」(アイデンティティの危機)に直面した世代・階層による
反抗(自分探し)として描かれます。
そして東大全共闘という特殊なものがその後を規定してしまった不幸(おそらく)に対し、
様々な可能性がありえたことが提示されます。
手法は今まで通りで、一般に公開されている資料によって、
いま思い描かれている「あの時代」のイメージを壊す1冊です。
(こういう研究手法はこの15年ほどで増えたもので、
かつての歴史研究しか知らない人には違和感があるかもしれませんが、
今では普通で、いろいろな人がいろいろなテーマで本を出しています)
ただ、すぐに買うのはファン、アンチ、関係者でしょうね。
ファンは歴史を鷲掴みにする魅力からほぼ肯定、
アンチはいつものように、全体の構造には目を向けず瑣末な点を挙げて全否定、
関係者は「私個人の見た(聞いた)話と違う」と否定するものと思われます。
評価が気になる方はこれを念頭に置いてください。
それはともかく、極めて厚いですが、文章が難解なわけではありません。
関心をもたれた方は序章とどこか1章だけでも目を通すことをお勧めします。
最後に、減点1は
・対象ゆえか前著よりダイナミズムに欠け、コップの中の嵐に見える
・そのためもあり、全体で1000ページでも良かったのでは
・もう1?2年早く出ていれば
という勝手な思いからです。
序章をまず読むべき 本書における著者の研究・執筆の手法は、すでに「民主と愛国」や「日本人の境界」で実験済みのものであり、新しいアプローチが採用されているわけではない。本書で面白いのは、「序章」である。みずからの執筆のアプローチについて丁寧に説明してあることは前著と変わりがないが、おそらく山本義隆氏をはじめとする関係者が多数存命していることに鑑み、「批判するなら全部を読んでからにして欲しい」と執拗に書いてある。小熊氏は自分の呈示する結論がこの時代の運動の当事者からはとても受け入れがたいものであることをあらかじめ察知して、予防線を張っているのである。
本文については、以下の二点が目新しいと言えるだろう。まずひとつは、小熊氏は日本での1968年の闘争は、世界的な学生蜂起やフランス新思潮とは切り離して捉えるべきだと主張している点。この観点から、彼らが諸外国より受けた影響や、彼らの運動に対する国際的な反響についてはほとんど触れられていない。もうひとつは、学生運動の代表であると考えられてきた東大紛争について、例外的なものだと断じている点である。特に後者については、東大出身である小熊氏のある意味冷たい視線が感じられて、興味深く読めた。
ちょっといただけないのは、挟んである新曜社のパンフレットに "ichi kyuu roku hachi" と書いてあることである。興ざめしたので一点減点した(笑)。いずれにしても、筆者のようにこの運動について包括的な書物を一冊読んでみたいと思っている人間にとっては、期待を裏切られることはないと思われる。ただし、運動に対する全面的な賛美の論調ではないために、当然評判はわるいであろう。アベレージの評価が星いくつになるのかわからないが、現時点であまりに低過ぎると思われたので、下巻を読む前だが評価を投じておいた。
ノリとハサミで作った偽書 分厚い本だが、内容は薄い。特に近年出た全共闘本の切り貼りが多い。しかも、この切り貼りが唖然とするようなやり方で行われている。こうなると「偽書」と言った方がわかりやすいだろう。
取り上げている文書は、68年当時のビラの類を除いては、ほとんど知っている物ばかりだった。問題は文書の取り上げ方である。ほとんどが、小熊氏の筆の進みにあわせて文書の一部を切り抜いているだけだ。たとえば赤軍派幹部の証言が、本来の趣旨とは違うところを切り抜かれたていたり、当時の学生の読書傾向を具体的な書名をあげて説明している文章を、わざわざ当時の学生が入手できる文献は非常に乏しいものだったと嘆いているところだけ取り上げていたりする。このようなご都合主義的な切り貼りは、全共闘をおとしめるという動機によってのみ行われている。大量に集めた文献が、思想史家のつとめであるエッセンスの取り出しではなく、自分の「作文」に都合の良い一言半句を取り出したものであることに注意を喚起したい。これが思想史家の仕事なのか??????
これは「偽書」である。何故かと言えば膨大な文献の中から都合の良い部分を、その文章の背景を吟味することなく切り取り、「自分の語りたい歴史」を恣意的に語ったものであるからだ。
「学術書」(序章より)を僭称する“虚著” 著者小熊自らが誌しているように「あの時代」の「生き証人」は数多く存在する。しかし、あきれ果てたことに、この書物は彼等への取材を一切行うことなく、往時のジャーナリストや雑誌記事、回想録の断片などの「文献」(つまり二次的・三次的資料)を掻き集めて恣意的に小熊流のひたすらヌルい「あの時代」像を描き出したものに過ぎない。これでは十分な資料の集積と資料批判を前提として、著者なりのパーステクティヴからする史観を表出したものとさえ呼ぶことは出来ない。敢て言えば、三流ライターによる歴史の捏造ソノモノに外ならないと断ずるしかなかろうが、著者は「歴史研究者にとっては……」(序章)などと書付けているのだから大笑い。たとえば第2章と第3章は「セクト」に充てられているが、内部通信の類が欠片さえないばかりか、なんと党派機関紙・誌の類すら全く参看されていないという為体(ていたらく)なのである。第8章「激動の七ヵ月」もヒドいもので、67年の10・8についての記述が当時の週刊紙並みであるばかりではなく、11.12の第二次羽田闘争が完敗だったという評価も事実誤認である。各大学闘争の内幕については言わずもがな。何にせよ、近現代社会運動史研究者にとって本書が資する箇所は皆無であり、新資料など何一つ存在していない。
いずれにせよ本書は『〈民主〉と〈愛国〉』をはじめとする、これまでの小熊の「業績」なるものを再審させる契機となるに相違ない。
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ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書) |

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・田中 克彦
【岩波書店】
発売日: 2009-06
[ 新書 ]
参考価格: 819 円(税込)
販売価格: 819 円(税込)
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・田中 克彦 ・田中 克彦
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| マーケットプレイス
新品価格: 819円〜
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カスタマー平均評価: 5

もうひとつの「ノモンハン」?ソ連崩壊後明らかになってきたモンゴル現代史の真相 1939年の「ノモンハン」とは、それについて考える人にとって、光を当てるとさまざまな方向に乱反射するプリズムのような事件である。
なぜこれだけ多くの日本人にとって「ノモンハン」が気になるのか? すでに70年もたっているのに・・・
現在でも多くの人が「ノモンハン」について書いてきた。
たとえば、村上春樹は、 『ねじまき鳥クロニクル』のテーマそのものにかかわる重要なモチーフの一つとして描いている。
また、大阪外語大蒙古語学科出身の司馬遼太郎は、長年取り組んできたノモンハンを題材にした小説化をついに書くことなく世を去った(・・この件については、本書の「あとがき」で著者があるエピソードを紹介している)。
満洲で勤務し現地で召集された経験をもつ作家・五味川純平原作の大作映画 『戦争と人間』は、「ノモンハン」の戦闘シーンで終わっていること・・・・などなど。
このほかにも、まだまだ日本人による無数の「ノモンハン」があるのだろう。
あらたに刊行された本書は、社会言語学者でモンゴル学者の田中克彦が、分断された民族であるモンゴル人の視点から、 「ノモンハン戦争(=ハルハ河戦争)」を検証したものである。モンゴル人の視点からみる「ノモンハン」は、日本の視点でもソ連(現在ロシア)の視点でもない、きわめて重要な第三の視点である。
著者は、1991年に東京で開催された「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム実行委員会」の代表をつとめ、ソ連・モンゴル人民共和国(現在モンゴル国)・日本の研究者をつなぎあわせる役割を果たしている。戦争当事国の4カ国(日本・ソ連・満洲国・モンゴル人民共和国)で使用された、日本語・ロシア語・モンゴル語の三つの言語に精通し、学問をつうじてモンゴル人に限りない愛を注いできた人である。
本書には、急速に進展しているモンゴル学の最新成果が惜しみなく注ぎ込まれている。とくに、ソ連崩壊後あらたに公開された事実による歴史の書き換え作業の成果が大きい。モンゴル人民共和国と満洲国の二国間に発生した国境紛争、そして二つの"傀儡"(かいらい)国家のそれぞれの背後にいたソ連と日本の真の動機をめぐる考察からみる「ノモンハン」は実に興味深い。
本書は、1973年に刊行された、著者による幻の名著 『草原の革命家たち?モンゴル独立への道?』(中公新書、増補改訂版が1990年刊行)の続編として読まれるべき本である(・・品切れ状態なのが残念だ)。
辛亥革命による清朝崩壊後、宗主国である中国のくびきから脱した外蒙古(=外モンゴル)は、ソ連の力を借りてかろうじて独立を達成した。しかし民族として生き残るためソ連の衛星国として生きるという苦難の歴史を歩まざるをえなかった。
満洲国の一部となった内蒙古(=内モンゴル)との統合によるモンゴル民族統一の夢は断念、しかしながらソ連の指示のもと「ノモンハン」に参戦し勝利を収め、またソ連による対日戦争に従うことでスターリンの信頼を確固たるものにし、第二次大戦後には国連にも加盟、ソ連が歩解した1991年には文字通りの独立を勝ち得ることとなった。
中国国内にある内モンゴルの遊牧地は、農耕民族である漢民族によって浸食され、民族を支える基盤としてのエコロジーが危機に瀕している。
このことを考えると、満洲国ではなくソ連につき、「ノモンハン」で勝利したモンゴルの選択が、長い目でみれば結果として成功であったことがわかる。
安彦良和に『虹色のトロツキー』(中公文庫 全八巻)という長編名作マンガがある。
主人公の日蒙二世の青年ウンボルトは満洲国の側に身を置き、同じモンゴル民族のモンゴル人民共和国軍の兵士とはノモンハンの戦場において向き合うことになるのだが、本書はこの名作マンガをよむための参考書のひとつとなるだろう。
モンゴルにかんするトリビアルな知識も楽しめる。
モンゴルの視点 ノモンハンについて、かかれたものは、かぎりない。
あの一発の銃声が、なかったならとだれもがおもい、
また、ヘンな表現だが、一発の銃弾からはじまった戦争というのは、書く人のの想像力を刺激するロマンチックがあるのだろう。
これは、ノモンハンをモンゴルの視点で描きました。
さまざまな思惑が交差する現実と、ひとつの切り口としての歴史。
そんなことを思いながら、読みました。
いまこそ、「ノモンハン」を見つめなおす?。 本書は、言語学を専門とし
一橋大学教授である著者が、
ノモンハン戦争について論じる著作です。
1939年、モンゴルと満州国の間で勃発したノモンハン戦争。
これまで「昭和史」の文脈で語られることの多かった同戦争について
著者は、モンゴル国内の政治情勢や
ハルハ、バルガ地方の民族的、歴史的な経緯、
さらに中国やソ連等との国際関係を踏まえた「世界史」的な文脈で論じます。
記述の中心は、モンゴル史に割かれているので、
ゲンデン、メルセー、デミド、チョイバルサン
―など、なじみのない名前や出来事が続きますが
平易な解説が付されているため、
予備知識がなくても読み通すことが可能です。
希望としての満州国
マンチューリ会議にかけた民族の想い
田中メモランドゥムの真相と根深い誤解
―など興味深い記述は多くありますが、
とりわけ、辻正信がマンチューリ会議を妨害したという記述は
(真偽はよくわからないものの)とても印象に残りました。
ノモンハン戦争を巨視的に見つめなおすとともに、
強国に挟まれた民族の悲哀を伝える本書。
アジア史や、近代史に興味のある方に限らず
一人でも多くの方に読んでいただきたい著作です。
ノモンハン事件の実相 これまて戦記等ではよく語られてきたが、冷戦のさなかにあって資料的制約が大きく、実態に謎の多かったノモンハン戦争を、いまでこそ可能になった環境や資料にもとづいて明らかにした一冊。
特に現地の満州やモンゴルの実体験や調査に基づいているので、当時の現地の人々の感覚や見方がわかるのがとても新鮮である。当時の関東軍やソ連、そしてモンゴルの人々の思惑や利害がビビッドによみがえり、一般的な「ノモンハン事件」の理解や観念を塗り替えるものであるといえる。
純粋に軍事的なことは論じられていない(戦果、被害、勝敗の判定など)。またモンゴル学者らしく、モンゴルの文化・歴史・言語に関するトリビアが本書に深みと人間味を与えてくれる。
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日本人の戦争―作家の日記を読む |

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・ドナルド キーン
【文藝春秋】
発売日: 2009-07
[ 単行本 ]
参考価格: 1,800 円(税込)
販売価格: 詳細へ
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・ドナルド キーン ・ドナルド キーン ・Donald Keene ・角地 幸男
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カスタマー平均評価: 0
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新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉 |

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・小林 よしのり
【幻冬舎】
発売日: 2003-07
[ 単行本 ]
参考価格: 1,680 円(税込)
販売価格: 1,680 円(税込)
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・小林 よしのり ・小林 よしのり
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| マーケットプレイス
新品価格: 1,680円〜
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カスタマー平均評価: 4.5

多くの方によんでもらいたい! 私は、本書をたくさんの方、特に日本人に読んでもらいたいです。私は本書と、本書のシリーズ1・2を読んでから、大きく価値観が変わりました。偶然、この国に生まれてきたことに対して感謝の念でいっぱいになり、日本という国が好きになりました。また、本書を読んでから、日本人としての誇りも感じるようになりました。さらに、本書のおかげで、プライベートにおいても、勇気ある行動がとれるようになりました。これは、博学で漫画の才能あふれる、小林よりのりさんの、勇気ある執筆活動のおかげだと思っています。私は、本書との出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。ぜひ、多くの方に本書を読んでもらいたいです。またシリーズ1・2もお勧めです。
戦争観・・・・・・ この本は、日本にとって過去の戦争はなんだったのかと探求意欲を掻き立てるような
内容の本と感じました。歴史観とういうのは、人の捉え方によって意味が大きく変わってきますが、今、自分が置かれている立場上で、自分の本意の歴史観を曲げて、発言しなければ
ならないといった場合もあるのも事実です。史実を知るという事は、非常に重要な事だと
思いますが、時には、愕然とする場合もあります。そういった事を加味しての感想は、偏った意見かもしれませんが、
日本の戦争は、崇高な大儀のもとで、行われたと強く感じさせらる本ですね。
壮大過ぎる超大作 これほど衝撃を受けた著書は今までありませんこの著者はどんな人生を送って来たんだろう天才とも片付けられない鬼才ぶりこの方の著書を読むと今ある様々な著書がゴミ同然に思えて来ますサヨク本なんて論外ですね廃棄物です(笑)この本を読んでその後多くのゴミ廃棄物を全て処分した人は多いと思います(笑)
名作にもほどがある いろいろな事が学べます考えさせられます小林よしのりさんあなたの著書に出会えて本当に幸せです全日本人必読の永遠の名作です
読み終わった後にうなった 本書を読み 初めて世界の大きな歴史の流れが理解できた
学校の世界史の教科書はなんと浅はかだったのだろうか。
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